【その1】令和3年(2021年) 春蘭散策まとめ

約2年ブログを放置してしまいました。今日までにあまりにも多くの事がありました。

令和2年10月。母が旅立ちました。私は立ち直ることなど出来ないものだと思っていましたが良くも悪くも社会は休ませてくれませんでした。何よりも歩き続けることが出来たのは、母が常に私の幸せを願ってくれていたからです。先へ進みなさいと母なら言うからです。

その後、会社を退社。自動車免許の取得。東北への移住。転職。近況についてはインスタでご報告させていただいておりましたのでここからは春蘭散策のお話を中心に書いてまいります。

令和3年(2021年)はコロナ蔓延のためにsharaさんとご一緒出来なかったことが残念でなりません。このときすでに会社を退社していました。東北へ移住に備えて教習所での合宿を予約。合宿開始までの約半月の間、飛び石になりましたが数日間の遠征をしました。

最初に訪れたのは毎年の恒例になりつつあった平成の終わりにみつけた色花の坪。開花の確認とともに、この日もわずかな発色を目にする事が出来ました。過去の記事でも解説しましたがここの色花は発色に難があります。もしかしたら数年に一度は鮮やかに発色することもあるかもしれません。私は金銭目的で散策はしておりませんが過去の銘品と照らし合わせるといわゆる市場価値は付けられない花々でしょう。それでも山の奇跡には変わりありませんし、昨今、色出し不要の交配種が続々と登場するなか作り手を悩ませ色出しの研究に没頭させる魔力を秘めていると考えれば私にとっては価値ある花になるのです。

写真映りが良くてまるで本性の黄花を思わせるようなこの花も、この色花の坪の魔力によって映えて見えます。色花の色は連続変異により黄〜朱金(橙)〜赤と繋がってるとも言われます。この花の色は時間とともに褪せてしまいます。

すぐ近くには一過性の奇花が咲いていました。双頭花でしたが片方は普通咲きです。他に数輪が同じ株からあがっていましたがどれも普通でした。この色花の坪はまだ六分咲きといったところでした。この日は恒例行事の確認のみで後日、次のポイントへ移動しました。

翌日、同地域の初めてのポイントへ。立派な青花が出迎えてくれました。うねうねと伸びる山道には所々に実生の溜まりがありましたがめぼしい発見はなく強風にさらされながら尾根に向かって進みます。

舌が前面無点の普通花が気を紛らわせてくれました。

ひたすら細く蛇行する山道を登ります。途中で帰りたくもなりましたが今シーズンが最後の電車移動の徒歩散策になると思い一歩一歩踏み締めて進みます。いま振り返るとよくあんなに歩いたものだと自分で思います。車移動が当たり前になった今では頼まれてもやりたくありません。

元々ない体力も限界に迫り、お約束の貧血状態が始まり松の枯葉のクッションにだらしなく尻をつきました。そこには獣に踏み潰されたようにヨレヨレの実生株がありました。

覆輪状にかすれた斑のようなものが見えました。

それは覆輪になりかけなのか、なり損ないであるのかは分かりませんが銘品の足元にも及ばない芸ではありますが疲れきった心を潤してくれたのは間違いありません。

日も暮れ始め宿へ向かいました。電車の本数は非常に少なく山奥から徒歩でタイミングを合わせるのはとても難しい。結局40分ほどホームで待ちぼうけ。だが疲れが心地よい。

山神さまありがとうございました。

その2へ続く

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